契約魔法使い(2)
サーザの世話というか、見張りを妹に押し付けて、ハロルドは下町の一郭に建つ”猫の目亭”に”手配屋のヘザー”を訪ねて来ていた。
薄暗い店内には結構混み合っており、男達がそれぞれのテーブルで酒を酌み交わしたり、賭博に興じたりしている。
けたたましい女の嬌声に、ボソボソと歌う中年女の歌手の声は掻き消され、誰の耳にも届いていないのだが、この店に歌を聴きに来るような客が居ないのは彼女にも充分、分かっているらしい、全く気の無い歌いぶりだった。
建物の規模の割りに店が狭いのは、奥のカーテンの向こう側が麻薬を扱う魔窟となっているからだ。
この事は公然の秘密で、取り締まりの手など一度も入った事が無い。
店の中にも、微かに甘い香りが漂って来ていた。
店の男に金を渡して、ヘザーを呼び出して貰う。
しばらく席に座って待つと、顔を黒い覆面で隠した黒ずくめの大柄な男がハロルドの横に立った。
背が高く、ガッチリとして、暗い色のマントのような物で体を覆い隠している。
これが、この店の主、”手配屋のヘザー”だった。
「何の用だ」
暗い店内で、黒い覆面の中からは二つの眼だけが覗いている。
ヘザーは用心深い男で、誰にも素顔を見せないと言われていた。
あらゆる情報を扱い、顧客の個人的な秘密を握っている彼は、知り過ぎているが故に何時も命の危険に晒されているのだ。
顧客に顔を知られる事は、避けねばならない事だった。
「珍しい物が、手に入ったんだ。あんたに手配をして貰おうと思ってね。」
「一応、話は聞こう」
ヘザーはどう見ても小悪党風のハロルドが持ち込んで来た話に対して、大した興味は持っていないようだった。面倒そうに席に着く。
ムッとしたハロルドだったが、気を取り直して声を潜め、話を切り出した。
思い切り、勿体ぶった声を出して。
「はぐれの魔法使いを、捕まえたんだ」
「何?」
今まで気が無さそうにしていたヘザーの顔色が変わったのに、ざまぁみろと内心ほくそ笑んで、自慢げに話を続ける。
「若い、男の魔法使いだ。記憶を失っている。
上手く丸め込んで、言う事を聞かせられるようにしたんだ。
俺が、な。」
”俺が”に力を込めて強調して見せる。
「高く買ってくれる所を探してる。あんたなら、どんなヤバイ物でも売買してくれるんだろう?
いい買い手を、紹介して欲しいのさ」
「その男、間違い無く、魔法使いか?」
「勿論だ、疑うなら見せてもいいぜ」
「見せて貰おう。
本物の魔法使いなら、喉から手が出るほど欲しがる奴が居ようからな。」
「い、幾らくらいになるのかな?」
「さてな・・・お前のような小者が一生、御目に掛かれない程の大金になるだろうよ。
魔法使い・・正しくは”魔法師”というのが正式名らしいが、連中の契約には国家予算が
組まれるほど、莫大な金が動くらしいからな。」
「引き受けてくれるのか?」
「まずは見せて貰おう。」
「・・・明日の午後、北の谷に来てくれ。あいつの力を見せてやれると思うぜ」
「北の谷・・・・」
「ああ、プサイシンの棲家だ」
「面白い」
「じゃあ、決まりだな!」
ハロルドは頷くと立ち上がった。
店を出ると思わず、弾んだ足取りになる。
大きな幸運が転がり込んで来たものだ。
親の顔も知らず、兄妹だけで生きて来た、生きる為に悪事も働いた。
ダニのように嫌われ、野良犬同然に見下されて・・・。
それも、間もなく終わる。
終わるのだ。
軽く口笛を吹きながら、ハロルドは人ごみを走り抜けた。
結果、サーザの身にどんな災難が降り掛かる事になるのか、彼は考えて見ようともしなかった。
一方、見張りを任されたエメは、何故かサーザと二人で、町の雑踏の中を歩いていた。
「どうしても町を見物したかったんだ。見たのかも知れないけど、覚えていないし・・・」
「そ、そうね・・・」
リクフウの市場は沢山の露天が立ち並び、買い物をしに来た人々でごった返していた。
どこの町にもある有りふれた風景だが、サーザにとっては随分珍しい物らしい、子供のように目を輝かせてあちこちの店を覗き回っている。
あんまり楽しそうで、帰ろうという言葉を出す事が出来なかったエメは、サーザの後を歩きながら、ため息をついた。
何故って、目立ち過ぎなのだ・・・。
魔法師達は髪を長く伸ばしているのが普通で、サーザも例に漏れず長い髪をしていた訳だが、その色というのが鮮やかなオレンジとも赤ともつかない色で・・・癖の無い素直な髪とはいえ、人ごみの中でもその長さと色彩は目に付いた。
擦れ違う人々が皆、振り返って見るのだ。
外に出さず、見張っていろと言われたのに・・・怒られる・・・。
憂鬱になっているこっちの気も知らないで、サーザはすっかり夢中だ。
ふと立ち止まったサーザは振り向くと、懐から小さな袋を取り出して見せた。
「これで、何か、買えるかな?」
覗き込んだエメがギョッとして、サーザの顔を見上げる。
「こ、これ・・・!」
「財布だと思うんだけど、これは通貨とは違うよね?」
「お金じゃ・・・無いけど・・・」
小さな財布の中に詰まっていた物は、黄金で出来た棒だった。
お茶に入れるシナモン程の大きさだが、それがびっしりと入っているのだ。
エメに金の価格は良く分からなかったが、これが全て純度の高い物ならば、結構な値段になるのではないだろうか?
「案内して貰った礼がしたいんだ、私とエメは・・・その・・・許婚らしいし、恋人に贈り物をしたって悪くないだろう?」
「あ、ありがとう・・・」
どぎまぎしながら、目に付いた露店の色硝子の花を手に取ってみる。
今、髪を飾っているのは安物のリボンで、こんな綺麗な細工の入った髪飾りなど一つも持っていなかった。
結局、通貨でないと受け付けないと店主が主張したので、二人は一旦、金を通貨に替えてくれる所へ行ってから、改めて髪飾りを買いに行く事にした。
思った通りに良質な黄金で、出された金額にエメは眩暈を覚える。
あんな店の商品なら、店ごと買い占める事だって出来るかもしれなかった。
エメは赤い硝子の花が連なっている、一番綺麗な物を選んだ。
さっそく髪を一つに編みなおして、三つ編みの根元に硝子の花を飾る。
鏡で何度も髪飾りを付けた自分を見ているエメを見て、サーザは笑みを浮かべた。
嬉しそうなエメを見ていると、自分も嬉しい気持ちになる。
その様子は傍から見る限り、本当の恋人同士のように見えたが、その二人に馴れ馴れしく声を掛けて来る者が居た。
「よう、エメ。新しいカモか?」
振り向くと、だらしない格好の男達が嫌なニヤニヤ笑いを浮かべながら、立っていた。
ハロルドの遊び仲間だった。
「何を言ってんのさ・・・!」
慌てて怒鳴りながら、ちらりとサーザの顔を盗み見る。
言われている意味が分からないのか、サーザはキョトンとした顔で、柄の悪い男達を見返していた。
「そう邪険にすんなよ、邪魔はしねーから。金入ったら、奢ってくれよな!」
「ばか!あっち行け!!」
「へへへーっ!」
「がんばれよー!」
男達は真っ赤になって怒るエメを笑いながら、人ごみの中に散って行った。
エメは時々、美人局のような事をハロルドと組んですることがあった。
リクフウを訪れた旅行者を誘惑して、宿へ連れ込んだ所にハロルドが仲間と踏み込んで、妹に手を出したと恫喝しては金品を巻き上げるのだ。
その時に一緒になって悪事を働いているのが、あの男達だった。
「知り合い?」
問い掛けて来るサーザの目は、何も疑っていないようだった。
もしかしたら、あんな人間の存在も、サーザは知らないのかもしれない。
「何でも無い!あいつらバカだから、気にしないでいいよ!」
「そう?」
不自然なエメの態度にも、サーザは不審がったり、問い詰めようとしたりする様子は無かった。
本気で人を疑う事を知らない人なのかと思って、エメは密かに瞠目する。
そんな男に出会ったのは、初めてだった。
買い物や散策を楽しんだ二人が部屋へ戻って来ると、そこには怒ったハロルドが待ち構えていた。
「エメ、何処に行ってた!
サーザを見てろと言ったが、一緒に遊びに行けとは言ってないぞ!」
「ご、ごめんなさい!」
「ハロルド、エメを叱らないで欲しい。私が、町を見たいと無理を言ったんだ」
エメを庇おうとするサーザに、ハロルドはそれ以上、言い募る事も出来ずに肩を竦めた。
ふと、妹の髪に見慣れない髪飾りを見つけて、指を指す。
「それ、どうした?」
「サーザに、買って貰ったんだよ」
「・・・そうか、済まねぇな、サーザ。
いらん金を使わせちまったな」
「いや、エメには世話になってるから・・・」
「ふん、そうか。エメ、ちょっと来い」
サーザを部屋に残して、兄妹は外の路地に出た。
「エメ、お前、あいつがカモだって忘れちゃいないだろうな?」
指摘されて、エメはハッとしたようだった。
「あたい・・・」
「お前は、気立てのいい娘だ。情も深い。
だが、あいつは駄目だ」
「駄目って・・・何がさ?!」
「惚れたりするなよって、言っているのさ。
あいつは商品だ、いずれ売り払う。
情が移ったりすれば、泣くのはお前だぞ」
「惚れてなんか!会ったばかりの男じゃないか!」
「それならいいが・・・」
「あ、あいつ凄い大金を持ってるんだよ!これも、それで買って貰ったんだ。
財布の中に黄金がびっしり詰まってた!」
「よし、それも頂こうぜ。エメ、いい暮らしをしたいだろう?」
「うん・・・あたいもう、貧乏は嫌だよ」
「よしよし。今日、手配屋に話を通して来た。
明日、あいつを見せる約束だ。北の谷に呼び出してな」
「北の谷・・・!」
「そうだ、プサイシンとあいつをぶつけるんだ。
先方が、奴が確かに魔法使いだという証拠を欲しがっているらしい」
「北の谷なんて!殺されちまうよ!」
「魔法使いが、そう簡単に殺されるか!魔獣ごときに!」
「だって・・・」
エメは体を震わせた。
プサイシンに遭遇した時の恐怖は、忘れる事が出来なかった。
あまりの恐怖にプサイシンの姿がどんな風だったのかは、覚えていない。
ただ、魔獣という物が人の力の全く及ばない生物であるという事は、肌で、本能で思い知った。
もう、あんな所には行きたくない。
あの場で殺されなかったのは、運が良かったに過ぎない。
めったに無い幸運だった。
魔法使いが通り掛る、などと。
「とにかく、これは天からの恵みさ。無駄にする手は無いぜ」
「う、うん・・・そうだよね」
エメは俯いて、足元を見詰めた。
薄い布地で作られた粗末な靴を。
雨が降れば水が染みて、冬は凍える程冷たかった。
暖かい毛皮を張った冬靴など買える訳も無く、エメは夏も冬も、この靴を履いているのだ。
こんな惨めな生活が、変わるのなら・・・。
仕方ないんだ。と、自分に言い聞かせた。
<続く>