契約魔法使い(6)










(最終回)



「何をゴチャゴチャ言っている!
俺の条件を飲むのか、どうなのだ!」

ヘザーは自分を蚊帳の外にして盛り上がっている魔法師達に苛立って、声を張り上げた。

すっかり忘れていたと言わんばかりに、三人の魔法師が振り向く。

「生憎だな、言い成りにはならないぞ」

燃えるような赤毛の魔法師が、前に進み出た。

今までのオドオドした雰囲気は消えて、別人のように自信に満ちているのが不思議だった。

「女がどうなるか・・・!」

脅しにも、サーザは動じなかった。

手にした杖を翳して、眼を閉じる。







ゆっくりと髪が浮き上がり、真紅の翼のように開かれると、静かに彼は命じた。

「流れる水よ。我を、求める者の元へ・・・!」

次の瞬間、サーザの姿は足元から巻き上がった霧の竜巻のような物に包まれたかと思うと、
空に溶けるようにして消え失せた。

「火や風の入れない処であっても、
水は存在しているのですよ。」

「み、水など・・・!」

有る訳が無い、石で作られた只の箱のような部屋だ。
入り口は天井に開けられた穴に、落とし蓋の石が乗せられているというだけの物で、その上には結界の印が書かれているから、入り口から侵入するのは不可能。

光も風も、水も入り込めない密封された空間だ。

いかな魔法師であっても、媒体にする物の量が微少では、思い通りに力を発揮出来ないはずなのだ。

「彼女が、呼んでいるのです。」

謎めいた言葉を投げて、ハルシオンは微笑んだ。

















エメは、暗闇の中に居た。

動けぬように縛られ、固く冷たい床に転がされているのは分かったが、それ以外は何も見えず、音一つしない静寂の中である。

一人ぼっちで横たわっている間、エメはサーザに出会った時の事を思い出していた。







あれはほんの四日前の事、町の噂で「北の谷」には沢山の宝が埋まっていると聞いていたエメは、それを確かめようと一人で谷への道を降りて行ったのだ。

その噂は昔からあったけれど、事実かどうか確かめた者は居なかった。

宝と一緒に、谷に棲みついている魔獣の話も良く知られていたからだ。

この国にも魔獣の住む場所は多かったが、普段、人々が魔獣や魔物と遭遇する事は殆んど無い。

彼らと人間の棲家は完全に分かれており、町に居る限りそんな物に襲われる心配など無かったからだ。

これは前任の契約魔法使いが、国内に棲んでいる魔物と人の間に立って結ばせた取り決めだった。

”お互いの縄張りを分けて不可侵とする”と。

魔法師達は皆そうやって、国の民と、魔物までをも守っている。

魔物という物は決して悪い物では無く。

同じようにこの世界に生きる存在として、同じ権利を擁する相手なのだというのが、”アーリイルの山”から派遣される全ての魔法師のスタンスであった。

しかし、長く接触が無いと、時に思わぬ弊害も出るものだ。

人は何でも直ぐ忘れてしまう生き物で、魔物の恐ろしさも分かたれている間に忘れ去り、宝物欲しさに相手の領域を侵してしまう事がある。

その報いは恐ろしい運命として人の身に降り掛かり、人は魔物の棲家に近付かなくなるのだが、何十年も経つとまたその恐怖を忘れて同じ過ちを犯す・・・その繰り返しだった。

エメも、魔獣の噂を本気で信じてはいなかった。

誰も、魔獣という物を見たと云う者が回りに居なかったからだ。

それにまだ朝方、居たとしても出現する筈がない・・・そんな甘い考えでの、軽はずみな行為だった。







谷を降りて、暫く歩く。

入り口は緩やかな坂だったが、だんだん両壁が高くなり、日が翳ってあたりは薄暗くなり始めていた。

足元は剥きだしの石交じりの土で、でこぼことして歩き辛く、何度か躓いて転びそうになる。

気温が急に下がるのを感じて、エメは立ち止まった。

見ると、何時の間にか辺りの風景が霞んで、視界が利かなくなっていた。

暗い谷の奥から溢れ出して来た霧で、足元の地面が見えないほどだ。

「・・・やだ・・・どうしよう・・・。」

じっとりとした霧が、生き物のようにエメの体に纏わり付いて来ていた。

急に怖くなって、来た道を振り返るが、すっかり霧の中に閉ざされてしまっている。

帰り道が分からなくなっているのに気が付いて、エメは泣きそうになった。

兄のハロルドにも話さずに来たので、自分がここに来ているのを知っている者は居ない。

迷っても、助けは来ないのだ。






(何をしに来た、人の女)

「ひっ!!」

どこからか聞こえて来た声に、弾かれたように振り向いた。

低い、ごろごろと喉を鳴らしているような不気味な声の持ち主の姿は、霧の中に紛れて見えない。

すぐ近くのような気もするのに、何も見えなかった。

「誰・・・!?」

(誰とは、愚問。侵入者よ、貴様が名乗るべきだろう?)

「・・・ま、魔獣・・・!」

(そうとも呼ぶ。)

ハッハッと、息の漏れる音。

巨大な犬が牙を剥いて笑ったような音だった。

エメは、ヨロヨロと後ずさった。

本当に魔獣は居たのだ、一人でこんな所、来なければ良かった!

恐怖が襲って来て、エメは悲鳴を上げた。

何とか逃れようと声と反対の方向に走り出す。

(逃げるのか?)

面白そうに笑う声が間髪を入れず後を追って来るのを感じながら、エメはまろぶように走り続けた。




殺される、殺される、殺される、殺されるころされるころされるころされる・・・!





何度か転び、ドロドロになって泣きながら走るのを嬲るつもりなのか、魔獣はエメのすぐ後を哂いながら追って来るのみだ。

女の足など追いつくのは容易なのだから、何時でも殺せる。

久し振りに飛び込んで来た獲物を存分に楽しむつもりだったのだろう。

疲れきり、足が重くなって、もう走れない・・・そう思った途端、エメは足を掬われて倒れ込んだ。

目の前に緩やかな、見覚えのある坂・・・谷の出口はすぐ其処なのに!

背中に熱い息が掛かるのを感じて、エメは震えながら振り向いた。





(もう、ここまでだな、女)

魔獣の顔が間近に見えた気がしたが、それを正視する前に、視界が突然深い霧に閉ざされた。

真っ白い闇がエメの目を眩ませる。

「ああっ!?」

(な、何だ?これは!?)

魔獣の声にも、隠しようが無い驚愕の色が見える。

何が起こっているのか分からずにいるエメの体が、ふいに何かに持ち上げられた。





「きゃああっ!」

悲鳴を上げて、体に接している何かにしがみ付く。

「大丈夫だ。怖がらないで・・・」

人の声に驚いて目を開けると、目の前に、真紅の翼を持つ人が居た。

青い瞳と頭部に赤い翼を持つ異人は、人の良さそうな笑みを浮かべると、エメを抱いて飛び上がった。

見ると、彼の足元には霧が命有る物のように纏わり付いている。

「あんたは・・・!?」

「私はサーザ、魔法師です。」

安全な場所にエメを降ろしたサーザは、ここに居て下さいと言い置いて、谷底を見遣った。

「ここの主を、彼らに任せて来ました。
随分、怒ってますが、戻らなくてはならないでしょう。」

「な、何を言ってんのさ!戻ったら、殺されるよ?!」

「大丈夫・・・だと、思います。」

サーザはちょっと自信無さげに言うと、ひらりと霧の立ち込めた谷底へ身を躍らせた。


それから一時間ほど待っても、サーザは戻って来なかった。

それで不安になったエメは、助けを求めに兄の元へ走ったのだ。

そして、気を失っているらしいサーザを谷底に見つけ出したのだった。

















思い返しながら、エメは顔を伏せた。

自分を助けてくれたサーザを騙していたのは、言い訳の出来ない事実。

今更、助けて欲しいなんて言える筈も無かった。

このまま見捨てられても仕方ない事を、自分達はサーザにしていたのだ。

こんな恐ろしい企みがあったなんて・・・知っていたら、そんな事をしようなんて、考えなかったのに。

自分の愚かさを思い知って、エメは泣いた。

涙が止めどなく流れ続けて、床に小さな水溜りを作る頃、エメは自分の頬の下が微かな光を放っている事に気が付いた。

そっと顔を上げると、驚いた事に床の上に出来た涙の染みが、不思議な光を放っている。

それはどんどん大きくなり、やがて大きな円を形作った。

その中心に黒い点が、幾つか浮かび上がって来る

「!?」

見る間にはっきりとした輪郭を持ったそれは、表面を突き破って、そのまま伸び始めた。

それが人の手だと、エメが気付いたのは、その時だった。

「・・・・・!」

息を呑んで凝視するエメの前で、手は光の縁に指を掛けた。

もう一つの手が現れて、同じように縁に手を掛けると、まるで水面から体を引き上げるように赤毛の魔法師の上体が現れる。

「エメ、無事か?」

「・・・サーザ!!」

エメは縛られた体をぶつけるようにして、サーザの胸に飛び込んだ。

「ハロルドも待ってる、脱出しよう!」

「うん・・・!」

ぱらりと縄が落ちたかと思うと、サーザの腕がエメの体を抱きしめた。

嬉しい・・・眩暈がするほど・・・!エメはそう思ったが、眩暈はそのせいだけでは無かった。

くらりと浮遊した感じの後、唐突に辺りが明るくなる。

「エメっ!!」

ハロルドが、半泣きで駆け寄って来るのが見えた。

「兄さん?」

気が付くと、エメはサーザの腕に抱えられたまま、城の外に立っていたのだった。

「俺が悪かった!お前を、危ない目に遭わせるなんて・・・!」

サーザの腕から妹を引ったくって、ハロルドはおいおいと号泣した。
そんな兄の背中に手を回して、エメも思わず涙ぐむ。







「さてと、人質は居なくなったようだけど・・・どうするのかな?」

シッサスが意地悪く、ヘザーに話しかけた。

「・・・どうやって!?」

目に見えて動揺している手配屋に、ハルシオンが答えた。

「サーザは、火に愛された色彩ながら、水の魔法師です。
水の有る所ならそれを伝って、入れぬ場所は有りません。
貴方は結界に加えて、外部からの力が何も入り込めないように彼女を閉じ込めましたが、風も火も無い暗闇の中であっても、水は有るのですよ。
・・・サーザを思って、彼女が流す”涙”、がね。」

「くっ・・・!」

唸る手配屋の背後に、誰かが駆け込んで来た。

息を切らしながら耳打ちをする若い男は、どうやらヘザーの配下のようだ。

「何ィ!?」

ヘザーは、配下の男に向き直ると「それは、本当か!?」と念押しした。

配下が頷くのを見て、低い唸り声を上げる。

「事態が急変したようですね。」

ハルシオンが心なしか、のんびりした口調で言った。

ヘザーが忌々しげに、魔法師達の方へ向き直る。

「たった今、依頼主が死んだ。 契約は無効になった。」

契約が無くなった今となっては、これ以上、三人もの魔法師を相手に無茶な駆け引きをする謂れは無かった。

「俺達は、どうするのかね?」

「知らん!」

憮然として、ヘザーは顔を背けた。

「もう、お前達に用など無い。」

そう言うと、あっという間に手配屋は姿を消した。

後には三人の魔法師と、抱き合ったまま呆然としている兄妹だけが残される。

「あれま、何て逃げ足だ。人間とは思えんねぇ。どうする?ハルシオン。」

「放っておけ、もう無害な男だ。」

素っ気無く言い捨てるハルシオンに、シッサスは笑って隣のサーザの肩を叩いた。

「これで大団円だな!」

「・・・・・あの・・・・・」

和やかムードの魔法師達に、恐る恐るハロルドが声を掛けて来た。

何事かと振り向く三人の前に、がばっと土下座する。

「許して下さいっ!全部、俺が企んだ事で、妹は俺に従っただけなんだ!どんな罰を受けたって仕方ないが、妹だけは許してやってくれよ!」

「嫌だっ、兄さん!」

慌ててエメが、兄に取り縋った。

「兄さんだけのせいじゃ無いんです!元はといえば、あたいが宝欲しさに谷に入ったのが悪かったんだ!あたいが、あんな事しなければ、サーザは記憶を失くしたりしなかったのに!
その上、サーザを騙して!
こんな事になったのだって、あたいが・・・余計な事を・・・。」





「もう、いいよ。二人共。」

サーザが二人の前に立って、手を上げさせた。

涙でぐしゃぐしゃになった二人の顔を、マントの端で拭ってやる。

「私は怒ってなどいないよ。
君達は私の初めての、外界での友だ。」

「サ、サーザ・・・!」

「ありがとう・・・!」

がばっと抱きついて来た二人を抱えて、ちょっと嬉しそうな様子のサーザを”火のハルシオン”と、”風のシッサス”は微笑ましく見守っていた。

サーザが思い出したように、二人の魔法師を顧みる。

「ご心配を、お掛けしました。」

改めて頭を下げたサーザは、ハロルドとエメに向かって魔法師達を紹介した。

「ハロルド、エメ。彼はハルシオン、私の祖父に当たる人だ。
そしてこちらが、祖父の相方のシッサス殿・・・」

「・・・・祖父っ・・・!!?」

二人はサーザの話を最後まで聞かずに、素っ頓狂な叫び声を上げた。

白絹のような髪の魔法師は、美しい顔に笑みを浮かべて、呆然としている兄妹に会釈する。

「孫が、お世話になりましたね」

「・・・・・・・・・・・・。」

それはどう見ても、サーザのような大きな孫が居る老人の顔では無かった。

言葉を失っている兄妹に、サーザは怪訝な顔をしている。

アーリイル育ちの彼にとって、母より若い外見をしていた祖父の存在は、当たり前の事だったのだ。
















翌朝、サーザは二人の魔法師と共に、リクフウの町を後にする事になった。

サーザの契約国「エライア」は、魔法師の到着を今か今かと待っている筈だ。

途中で行方不明になったと知って、かなり気を揉んでいる事だろう。

「どうしても行くの・・・?」

涙を一杯に浮かべて、エメが呟いた。

本当の恋人でもない自分が、サーザを引き留められないのは分かっていた。

「私を待っている人々が居る・・・行かなくてはならないんだ。
それに私は、もっとこの世界の事を知りたい。」

遠くを見るサーザの目はきらきらと輝いていて、エメは項垂れた。

夢を追って行こうとする男を、留めるのは無理なのだ。





彼は空を飛ぶもの。

自分と同じ地上に降りて来てはくれない。

違う世界の人なのだと、改めて思い知ったのだった。




「元気で、体に気を付けてね・・・・。
あたい、この髪飾り大事にするから・・・。」

涙を振り切って、エメは笑って見せた。

もう二度と会えないかもしれない人に、自分の笑顔を覚えていて欲しかったから。

朝日の中で、赤い硝子の花が光を弾いて輝く。

手を振って去って行くサーザを見送って、兄妹はいつもの雑踏の中へ帰った。

「今回は・・・俺も反省した。
次は上手くやって見せるからよっ!」

懲りない兄の言葉に苦笑しながら、自分は変わるだろうと思う。

次に会う、誰かの為に・・・。

「きっと何時か、お前に良い暮らしをさせてやるぜ!」

「・・・期待してるよv」

仕事を見つけて、ちゃんと働こう。

兄だって、もう気が付いているはず。

エメは、朝の光の中を歩き出した。






二人は知らなかった。

ハロルドが北の谷で何気なく拾った金剛石が二つ、ポケットの底で光っている事を。











「エライアへ行くのは良いですけど・・・送って行かなくても?」

海沿いの道を歩きながら、ハルシオンは自分より背の高い孫に向かって、心配そうに言った。

「もう、大丈夫です。」と、サーザは照れたように笑う。

一人前になりたくて外に出る道を選んだのに、これ以上迷惑を掛けたくなかった。

「御二人共、忙しいのでしょう?」

「そんな事は・・・」

「そこまでにしておけよ。 
もう、うっかり記憶を落っことしたりしないってさ!」

口を出して来たシッサスを、ハルシオンがキッと睨みつける。

「お前に、私の気持ちが分かるものか!」

「まー、俺には孫は居ないけどな。
でも、サーザの気持ちも察してやれよ。なぁ。」

「・・・・・・。」

口を噤んだハルシオンは二人に背を向けて、すたすたと歩き出した。

少し行って、くるりと振り向く。

「気を付けて行きなさい。
何か有ったら知らせるように・・・いいですね?
・・・シッサス、置いて行くぞ!」

「おっと、待ってくれよっ! 
じゃ、頑張れよサーザ!またなっ!」

慌ててハルシオンの後を追って行くシッサスの後姿に、サーザは手を振りながら叫んだ。

「シッサス!祖父をお願いしますね!」

「おおう!」とシッサスが手を振り返す。

「俺は、”頼れる男、シッサス”だぜ!」





見ていると、追いついたシッサスに何か文句を言ってる風な祖父の姿に、サーザはほのぼのとした笑みを浮かべた。

孫の自分にさえ言葉遣いを崩さないハルシオンが、相棒のシッサスにだけはぞんざいな態度を取るのを昔から見て来て、何時も二人の仲の良さが羨ましかった。

きっと、いつか、この世界の何処かで祖父のように心を許し合える誰かに逢える・・・。

そんな予感を抱いて、サーザも歩き始める。

潮風に乗って、柔らかな湿気が体を包んだ。



空は少し霞んで。

春の訪れを、再び歩き出した新しいエライアの”契約魔法使い”に教えていた。








<おわり>







あとがきは次のページで!






  

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