パン粥の日









何時ものようにリオン王子を起こしに来たウームは、世にも不機嫌な顔をした主人が既に寝台の上で目覚めていたのを知って、目を見張った。

呼び掛けた声にジロリと目を向けて来るが、起きる様子は無い。

それどころか、シーツを引き被るとプイと背を向けてしまった。

「リオン様?」

「今日は起きないぞ!」

「えっ?」

突然、子供の様な我が儘を言い出したリオンに、側小姓のウームは困惑した。

今朝は随分、機嫌が悪いらしい。

「御身体の具合でも・・・?」

「気分が悪い!」

「・・・・・。」

ウームは少し、考えた。

この”気分”というのは、”具合”の方なんだろうか。

それとも、”機嫌”の方の”気分”なんだろうか?






「リオン様、こちらを向いて下さい」

逆らうだろうという予測に反して、リオンはあっさりとシーツの中から顔を覗かせた。

本当に具合が悪かったらいけないと、注意深く見詰めているウームをじっと見返して来る。

見た所、顔色は普通だし、目が潤んでいる訳でもない。

額に手を当ててみても、熱などは無いようだった。

「何処か、痛い所がありますか?」

「痛い所だらけだ!」

ウームの眉が寄せられた。

「何処ですか?喉とか、お腹とか?」

「・・・・・。」

「・・・・・本当は、痛い所は無いんですね?」

「・・・・・・・・無い・・・・・・・・・。」

ふて腐れた返事をするリオンに、ウームは取り敢えずホッとした顔を見せた。

「良うございました。でも一応、今日は休まれた方が良いですね。
目付殿に、知らせを遣りましょう。」














控室で炉の番をしていた小姓見習いのリカルスを、目付役(前任が死亡したので、現在は文官の一人が後任を勤めている)の所へ使いに出すと、自分は朝の身繕い用の湯の入った鉢を持って、リオンの元に戻った。

テコでも動かないといった風情の王子の洗顔を、勝手に済ませてしまうつもりだった。

寝台に横たわった体を起こして、湯で濡らした布で顔や手足を拭う。

寝巻きの前をはだけて首から胸に掛けて拭く間も、リオンは無言のまま、
人形の様にウームの手に体を委ねていた。

外したボタンをきちんと留め直す頃には、ウームは少し楽しくなって来ていた。

珍しい王子の仮病のお陰で、今日は突然の休日である。

リオンが血生臭い戦場に赴く事も、今日は無いのだ。








「朝食は、パン粥にしました。」

明るく言うウームに、リオンは苦虫を噛んだような顔を向けた。

最初、困惑していたウームはすっかり開き直り、今度はこの事態を楽しむ気になっているらしい。

楽なようにクッションを背中に当てられて上体を起こされた王子は、パン粥をスプーンで口へ運ぼうとする相手に抗議の目を向けるが、「病人なんですから」と言われると逆らう事も出来ない。

何しろ、言い出したのは他ならぬ自分なのだ。

「さあ、口を開けて」

楽しそうにスプーンで粥をすくって、口元へ持って来るウームに根負けして、
リオンは口を開いた。

久し振りに口にしたパン粥は柔らかく、ほんのりと甘かった。

大人しく食べているリオンに気を良くして、ウームはかいがいしく食事の世話を続け、間もなく粥の入った深皿の中身をすっかり食べさせてしまった。

それでも食べ足りなそうな(何しろ本当は健康体なのだ)リオンに、にっこりと笑いかけて「林檎のコンポートでも、作りましょうか?」と、話し掛ける。

何時の間にか、すっかりペースに乗せられている事に気が付いていたが、所詮食欲には勝てない育ち盛りである。

「食べる・・・・。」という返事を聞いたウームは立ち上がると、
すぐに用意をしますと告げ、足取りも軽く控室に向かったのだった。








使いから戻っていたリカとコンポートの下ごしらえを済ませた後、
仕上げを任せてウームは再び、寝室へ戻った。

ずいぶん静かだと寝台の中を覗き込むと、王子は待っている間に、
また眠り込んでしまったようだった。

白いシーツの中に、半分埋もれるようにしている栗色の髪の乱れを指先で直しながら、
ウームは笑みを浮かべる。

リオンの寝顔の幼さが嬉しい。

こんな風に、何の心配もなさそうに、眠りだけを貪っているリオンの無邪気な顔を見ていると、この王子の身の内に潜む人ならぬ物の存在も、重い宿命も全て悪い夢のようだった。

このまま眠っていて欲しいと思うのは、自分の勝手な願いだろうけど・・・。

頬に触れる手に気が付いたのか、リオンはぱちりと暗青色の瞳を開いた。

どこかポカンとした幼い眼差しが、ウームの顔を見上げて来る。

「・・・・・リオン様?」

覗き込もうとするのを、不意に伸びてきた手で捕らえられて、ウームは面食らった。

首に回された腕がしがみ付いて来る。

その一途な感じにウームは思わず、リオンの背に腕を回して抱きしめた。

「・・・・・ウーム?」

少し寝惚けている声が名を呼ぶので覗き込むと、すっかり目が覚めたらしいリオンの目がウームを見返していた。

どうして自分がこういう体勢で居るのか、不思議そうだ。

「寝惚けて、抱き付いてらっしゃったんですよ。」

「・・・・・・ああ、そうか。」

リオンは少し顔を赤らめて、しがみ付いていた腕を緩めた。

寝台の上に体を起こして、ばつが悪そうに視線を外す。

「今日は一体、どうなさったんですか?」

「・・・不愉快な夢を見たんだ。」

「夢、ですか?」

ウームは眉をひそめた。

リオンの見る夢というものが馬鹿にならないのは、以前の事で知っていた。

体の内に棲む魔物の存在が、時に真実を映す悪夢を結ぶ事があるのだ。

しかし、それとただの夢の見分けは、大変難しかった。

取り敢えず内容を聞いてみない事には、どんな意味の有る夢なのか判断出来ない・・・・と考えて、ウームはリオンの手を取りながら横顔を覗き込んだ。

「どんな夢だったんですか?私に教えて下さい。」

「お前が・・・・」

リオンは仕方無さそうに口を開いた。

ちらりと、ウームの端正な顔を見遣る。

あんまり、言いたくなさそうだ。

「私が・・・・?」

「僕じゃない奴と一緒だった。」

「は?」

「・・・・見た事の無い奴に、僕にするのと同じように笑いかけてたんだ!」

「全く、見覚えの無い人なのですか?その方は?」

「知らん!見た事も無い!」

プイとそっぽを向いてしまったリオンを苦労して宥めながら、聞き出したところ、リオンは見知らぬ少年にウームが自分に対するように仕えている光景を夢で見た、という事らしい。

そして、自分は何処にも居なかったというのだ。






「夢ですよ?」

「夢でも、嫌な物は嫌だ!」

頑なに言い張る王子に、ウームは苦笑した。

「私は、貴方以外の方に、御使えする気はありません。」

「・・・・分かるものか!!」

突然、リオンはウームの言葉を遮って、声を荒げた。

ウームの目の中で、はっきりと自分の方に向けられた王子の眼差しが、
炎のように燃え上がる。

手を固く握り締めて、リオンは叫んだ。

「分かるものか!お前だって、僕が死ねば他の主人を迎えるだろう!」

パン!と頬を打つ音がして、二人は次の瞬間、呆然として見詰めあった。

打った方も、打たれた方も、あっけに取られて言葉が出ない。

特に主人の頬を打つなどという暴挙に出てしまった自分を自覚したウームは、
すっかりうろたえていた。

しかし、あんな言葉を黙って聞いている事は、とても出来なかったのだ。






言うべき事は言うべきだと思い直して、ウームはまだ呆然としている王子の肩を自分の身近くに引き寄せた。

真正面から、その目を見据えて。

「貴方がもしもの時は、私も御供致します。」

「・・・・・・!」

「だから・・・・余計な事を考えないで下さい。」

見る間に、リオンの瞳から炎が消え去った。

肩を落として、しゅんとしてしまう体を胸に抱き寄せる。

「・・・・・ウーム、そんな事を言って・・・・・」

あまり甘やかすな、と小さな声が肩の辺りで呟いた。

「私は貴方の物なのですから、当然でしょう?何処へでも御一緒します。
貴方を独りになど、決してさせません・・・。」



凭れかかってくる背をあやすように撫でながら、ウームはリオンの耳元に囁いた。

偽らざる本心だった。

本当に、そうしたいと思っていた。

・・・しかし。












「ウーム様、出来まし・・・た。」

運悪く、いや、間が悪く。その場に踏み込んでしまったリカは、その光景を見留めた途端、コンポートの入った皿を片手に凍り付いた。

寝台に腰掛けたウームが王子を抱きしめているのを、まともに見てしまったのだ。

その上に、こちらへ顔を向けている王子が目を開けて露骨に「邪魔者め」という表情をした処まで見て取って、リカは自分の視力の良さを呪いたくなった。

この場合、引っ込んで知らない振りをするべきか、それとも・・・と迷っている内に、王子は更にリカがいたたまれなくなるような事を言い出した。





「誓うか?」

「はい。」

「じゃあ、その証拠に僕にキスしてくれ。」

「・・・・リオン様!」

「でないと、信用しないぞ。」

「・・・・分かりました。」

リカは凍り付いたまま、まだそれを見ていた。

絶対、王子が自分に意地悪をしているんだ。

当て付けようとしているんだ!と分かっていても、目が離せない。








ウームが、彼の大切なウーム様が。

王子を抱きしめて・・・・。

「ご、御免なさい!!」

バターン!ガシャーン!!

突然背後で扉が大きな音を立てて閉じたので、ウームは飛び上がった。

「リ、リカ!?」

「あーっはっはっはっ!」

やっとリオンの悪ふざけに気が付いたウームは、ちょっとショックを受けながら後を振り向いた。

扉の前にはコンポートと皿の残骸が、無惨な姿を晒している。

「・・・リカが居るのを知ってて、あんな事をおっしゃったんですね!」

「あのちびは、お前の事を随分好いているようだからな。
ちょっと嫌がらせをしてやっただけだ。」







がっくり。




嫌がらせも我が儘も分かっていて、尚も王子が愛しい自分はもうしょうがない。

脱力してしまったウームに、やっと笑いを収めたリオンが体を寄せて来た。

悪戯っぽい瞳が、ふと真剣な色を帯びる。

「お前の気持ちは分かった、信じる。」

「リオンさ・・・・!」

その瞳に惹きつけられ、魅入ってしまった途端、隙を狙ったようにリオンの唇がウームの唇に重なって来た。

軽く、触れるだけの口付け・・・・。






「信じているよ。お前だけを・・・。」

呆然としていたウームは溜息を付いて、リオンの手を取った。

冗談に紛らせて、とても大切な事をリオンが言っているのが、分かっていたから。

まだ、ほっそりとした白い手の、その甲に口づけして。

「ええ、私は・・・貴方の物です。」

厳粛な誓いの言葉を交わして、二人は見つめ合った。

たとえ、運命が二人を引き裂いても。

誓った言葉は本物。

この心も本当の事。

ウームには確かな確信があった。リオンの夢は予知夢だ。

だから、リオンは恐れているのだ。

本能的に、そうと知る故に・・・・。

しかし、ウームは自分を信じてもいた。

自分は決して、二人の主人に従う事は無いと。

私の愛する人は、貴方だけだと・・・。










後日。



ウームの従者と自称するリカルスは、王子と直接の主人であるウームの愛を静かに見守ろう・・・という殊勝な気持ちにようやく辿り着いた。

不幸なリカの中にも、二人の主人の中にも、嵐の気配を内包して。








未だ、風は静かである・・・・。








<終わり>





<あとがき>

作中、一番好きなカップルがこの二人です。
リオンはいわゆる悪役で、滅びるべき立場の人間ですが、
悪いのと同じくらい弱い彼の人間味という奴が
私はとても好きなのでした。
リカ君はある事情があってウーム個人に付けられた使用人です。
ウームを崇拝している可愛い子ですが、うっかり王子の目に付く所に置くと
うっかり殺されるかもしれないので、気を付けてたりして・・・。
(そうでなくても自分とウームの間に入って来た彼を、快く思っている筈無いです。
多分、ウームに怒られるから殺さないだけね!)




(1996年10月4日作・2004年6月7日UP)









inserted by FC2 system