サース・バースの回想
サース・バースの家はごく普通の家だったので、床は土間だった。
周りより少し高く土を盛っただけの敷地に柱が八本立ててあり、
内部は一応、二つに区切られている。
区切られていると云っても壁は無く、寝室に当る場所には四方に幕が下げてあるだけだ。
マウーニは夜になっても暗くならないから、眠る時にはこの中に入る訳だが、居間と台所にはそれさえも無いのが普通だった。屋根も簡単な草葺きの物だ。
そんな簡単な造りの家でも、マウーニでは充分だった。
何しろ強い風が吹く事も、大雨の降る事も滅多に無い。
気温も温暖で、家などで自分の身を保護する必要もほとんど無かったのだ。
ただの天幕を家にしている者も多い中、庭が付いているこの家は、まあ、上等な部類だ。
その庭先に腰を降ろして、半人半馬のマウニンの少年、サース・バースは熱心に枝を削って矢を作っていた。
今日は親友のタスカス・エデ・カリエンテと、弓矢の練習をしようと約束をしているのだ。
さっき朝二つの鐘が鳴っていたから、間もなくやって来る筈だった。
シュッと小刀を滑らせて最後の矢を削り終え、矢羽を付ける作業をしていると、聞き慣れた蹄の音が近付いて来た。
「ヤバ・・・!」
もう来たのか、と慌てて糸をギリギリと巻く作業を急いだが、終わらない内に庭の小道に茶色の馬身が現れた。
少し癖のある髪を短く刈り込んだサース・バースと同年代の少年。
タスカス・エデ・カリエンテ、である。
「サース・バース!」
「おう!」
短く声を掛けて来るタスカスに、ペロリと舌をだしてみせた。
照れ隠しの笑いに察しがついたらしく、タスカスが溜息を付く。
「まだ、作ってなかったのか?」
「寝坊しちまってな!すぐ出来るから、待っててくれよ!」
「・・・・・。」
タスカスは仕方無さそうに頷くと、サース・バースの側近くに腰を降ろした。
その背には、ちゃんと出来上がった矢筒を背負っている
割りといい加減な性格のサース・バースと違って、タスカスは真面目で実直な少年だった。
子供の癖に固過ぎると、サース・バース辺りは思うのだが、
彼の方は親友を見習うつもりは無いようだ。
でもまぁ、そんな所を好ましく思っているのも、本音ではあろのだ。お互いに。
「さぁ、出来たぞ。待たせて悪かったな!」
「ああ、」
出来上がった最後の一本を束ねると、サース・バースは立ち上がった。
並ぶと同じ位の背丈の二人の、サース・バースの方がやや勝っているのが分かる。
二人とも育ち盛りの四年子である、少し前にはタスカスの方が高かった。
サース・バースの方が高くなったのは、つい最近の事だ。
馬身も髪も黒っぽいせいか、ずいぶん精悍な感じになって来た親友に、密かに焦りを感じていたらしいタスカスは口に出すのも悔しいと言わないでいたのだが、そんな事とっくに御見通しのサース・バースには通用しない。
そういう訳で、何かとサース・バースにからかわれる事も多くなっていたのだが・・・。
そんな二人の関係が大きく揺らぐ大事件が、この日起きようとは、知る由も無かった。
家を出た二人が連れ立ってやって来たのは、「天馬の森」の片隅、あまり住む者の居ない地帯だった。小さな池があって、その畔には弓の的に最適と思われる朽木が何本か立っている。
背後の池のせいで人通りは無いし、朽木は柔らかくて矢が刺さり易そうだ。
危険な弓矢の練習には、こんな人気の無い場所が必要だった。
二人はもう一度、人が居ないのを確かめて、手作りの弓矢を取り出した。
矢をつがえて、朽木に向かって射ち始める。
今になって思えば冷や汗物だった。すぐ側の繁みの中に、眠っている者があろうとは、
これっぽっちも思わなかったのだ。
二人はまだ年若かった。訓練もほとんど受けていなかった。
弓の腕など、今と比ぶるべくもなかったのだ。
タスカスが弦を引き絞った時、その指先が僅かにぶれた。
「あっ!」
「タスカス・・・!」
何処に射ってるんだ!と、サース・バースが声を上げ掛けた途端、
矢が飛び込んだ繁みの中から悲鳴が上がった。
「キャーッ!!」
「・・・・・!!」
ザアッと、二人の背中に冷たい物が走った。
「人が・・・・!?」
サース・バースが驚きを口にする間にも、タスカスは弓を放り捨てて、
繁みに向かって走りだしている。
慌てて後に続いたサース・バースの目に飛び込んで来たのは、小さな子供の姿だった。
白っぽい周りの色彩に紛れるような、白い体はまだ一年か二年の幼子だ。
タスカスが怪我の具合を見ようと走り寄り、抱き起こすと、子供は声を放って泣き出した。
「怪我してるのか・・・?」
「・・・・・・・。」
タスカスは、子供の手をどけて傷を見つけると、流れ始めていた血を舌で舐め取った。
子供はその感触にびっくりしたのか、泣き止んでタスカスの腕の中で体を固くしている。
「良かった、深くはない・・・。」
ホッとしたように言うので覗き込んで見ると、なるほど擦り傷程度で、
血も止まり掛けているようだ。
タスカスは子供を抱き上げると、繁みの中から明るい所に出た。
もう一度、傷を確かめて手当てをする為だ。
「悪かった・・・な・・・・?」
子供を地面に降ろしかけて、そのままの姿勢で硬直した。
「どうした、タスカス?早く、降ろせよ。」
不審に思って覗き込んだサース・バースも、初めてその事に気が付いて目を瞠る。
タスカスが、硬直するはずだった。
その白っぽい子供は涙を一杯に湛えた青い瞳で、タスカスの顔を見上げていた。
柔らかな輪郭も、波打ってこぼれる髪もミルク色で、その中でその瞳は宝石のようだ。
ぷっくりとした小さい唇は少しだけ色付いて紅い・・・幼いながら、息を呑む程の美貌だった。
しかし、タスカスを硬直させているのはその美貌ではない。美少女・・・なのだ。
そう、<女の子>だったのだ!
マウニンの女性には、着衣を着ける習慣があまり無い。
公式の場に出る時以外は、ほとんど裸に近い格好で過ごしているわけだが、そんな奔放な気風がある反面、マウニンは(これはマウニンに限らず、全ての種族に共通した決まり事なのだが)男が血縁関係以外の女性の体に、本人の許可無く触れる事は厳しく禁じられていた。
タスカスは男兄弟の中で育ったから、女性というと母親くらいしか知らない筈だ。
禁を破って女の子の体に触れてしまったのにショックを受けて、硬直してしまったのも無理からぬ事だった。
先に我に返ったのは、サース・バースの方だった。
まだ固まっている親友をつついて、
「何をやってる、早く降ろすんだよ!」と、声を掛ける。
タスカスもやっと我に返り、慌てて女の子を地面に降ろした。
「薬・・・・付けてもいいだろうか?」
おずおずと云った感じで、タスカスは女の子に話しかけた。
女の子は幾分落ち着いて来たようで、涙を拭きながらコクンと首を縦に振って見せる。
許しを受けて、タスカスは何時も身に着けている小袋から傷薬を取り出すと、赤くなったり青くなったりしながら、慎重な手つきで柔らかい腕を取って薬を塗り始めた。
きちんと包帯を巻いて、手当てを終えると、女の子に向かって表情を引き締める。
「俺の不注意で怪我をさせて済まなかった。俺はタスカス・エデ・カリエンテ。
・・・・・・名前は?」
「アデン・アルジェー・・・・。」
「アデン・アルジェー、家まで送って行く。家を教えてくれ。」
「うん。」
アデン・アルジェーと名乗った女の子は、タスカスの済まなそうな顔を見上げて、ほんのりと笑みを浮かべた。どうやら立ち上がって、おぼつかない足取りで歩き始めるが、危なっかしくてどうにも見ていられない。
「・・・・タスカス、お前、この子をおぶってやれよ。」
サース・バースは見かねて口を出した。
手を貸そうにも、女の子においそれと触ってはいけないと思っているタスカスは、
触れるか触れないかの辺りで手を出しかねて、オロオロしているのだ。
「ね、アデン・アルジェー。良かったら、こいつにおぶわれてくれないか?」
少女は目をぱちぱちさせたが、サース・バースの言葉に頷くと、体を屈めたタスカスの背にしっかりとしがみ付いた。
「俺、この子を送って行って、謝ってくるから。」
「俺も行こうか?同罪だし・・・」
「いや、いい。俺が怪我させたんだし」
「・・・分かった。ここで待ってる。」
「悪い・・・。」
タスカスが戻ってきたのは、鐘一つ分が経った頃だった。
何か複雑な顔をしてトボトボ帰って来るのに、サース・バースが走り寄る。
「どうだった?」
「謝って来た・・・・。」
「お前、何か変だぞ?どうした?何か言われたのか・・・・?」
「・・・・・・・・・・婚約した。」
「・・・・え、ええーっ!?」
ちょっと、かなり、サース・バースはびっくりした。
タスカスの方は、首の辺りまで真っ赤になっている。
「こ、婚約って・・・・・あの子とか!?」
「ああ、」
「あの子って、幾つだよ!?」
「一年子だそうだ。」
「〜〜〜〜〜。」
ある程度、成長してしまえばマウニンの老化は遅い。
歳の離れた夫婦だって、いないわけじゃない。
しかし、そういう人々は晩婚だ。
歳若い頃の一の年は、成人後の十年に匹敵する。
サース・バース達は一年足らずで成人に達するが、一年子のあの子は、
その時でもまだ幼児だ。
「い、いつ結婚するんだ・・・・?」
「アデン・アルジェーが大人になったら、すぐに。」
「そ、そうか・・・・」
「娘を傷物にしたからには、責任を取れと言われた。」
「それでいいのか・・・・お前、本当に。良く考えろよ、一生の事だぞ。」
「俺の責任だ。」
口を結んで言い切るタスカスに、サース・バースはいやはやと首を振った。
とんでもない日になったものだと思う。
そりゃあ、あのアデン・アルジェーはかなり、可愛い子だったけれど・・・。
「何か、先越されて大人になられた気分・・・。」
「背丈は負けてる。」
「カンケー無いだろ!それは!」
サース・バースは、複雑な気分で溜息を付いた。
しばらく顔を見合わせて、それから何だかバツが悪くなって、お互いに目を逸らす。
「帰るか・・・・。」
「そうだな。」
帰り道、無言で歩く二人はそれぞれの考えに沈んでいた。
「なあ、タスカス」
「何だ?サース・バース。」
ふいの問い掛けに、タスカスは立ち止まった。
「お前、義兄弟になる相手は決めたか?」
「・・・・・・・。」
タスカスは僅かに眉を寄せた。それから慎重な、という感じで口を開く。
「・・・誰か他の奴にするのか?」
言外に返事を貰って、サース・バースは息を付いた。
真剣な面持ちでじっとこちらを見ているタスカスに、にやりと笑って見せる。
「いや、お前に決まってる。」
「驚かすな。」
「びっくりしたか?」
「当たり前だ!」
改めて話した事など無かったが、心の中で一生を共にする相手はこいつだと決めていたのだ。
今まで、確かめようと思った事はなかったが・・・・。
だって、当然だったのだ。
やはり少し、寂しかったのかもしれない・・・と、後年になって、サース・バースは思った。
あの時の複雑な気持ちは何時までもサース・バースの心の中に残っていた。
やがて、サース・バースも伴侶を得た。
気持ちのいい明るい女で、かけがえの無い妻で、子供達の母親で、何物にも換えられないほどに愛していたけれど。
良く考えて見ると、・・・あんまり深く考えたくないが・・・どうも、親友のタスカスが同位置に居たような気がする・・・・。
サース・バースに向かって「どちらに惚れていたのか?」などという恐ろしい問いを発するような命知らずが出現しそうもないのは、もっけの幸いであるかも知れなかった。
サース・バースと、周りの人々の、心の平安の為にも・・・・。
・・・・それも、昔の物語ではあるが・・・・。
<終わり>
<あとがき>
主人公ソウビの義父のタスカスと、現在の後見人サース・バースの
少年時代。義母になるアルジェーとの馴れ初め編です。
サーくんの感情は友達以上恋人未満だったのかも。
そこに彼女出現ですからねえ、複雑だったでしょう。
(1996・9・24作 04・6・13UP)